自分の人生という名の演劇において、自分は主役になれているか

All the world’s a stage,
And all the men and women merely players.

シェイクスピアはそう言いました。

そして僕は、表題のようなことを、時々考えます。
また、どんな芝居の主役なんだろうか、と。

平凡な日常を描く随筆のような物語なのか、
波乱に満ちた大スペクタクルなのか、
はたして喜劇なのか、はたまた悲劇なのか。

決まりごとはとても少なくて、台本の最初のページで生まれて、最後のページで死ぬことのみ。
それ以外の筋書きは、人の数だけ、実にバリエーションに富んでいます。

でも時々、

「自分は自分の人生の主役ではないのではないか」

と、疑う瞬間も、あったりします。

それをよしとするなら、それでよし。
でも、そうでないなら、これほど悲しいことはありません。

他人の幸福を演出したエピソードも、自分を犠牲にして他のために働くことも、もちろん、他人の人生の、脇役としての名シーンではあります。

でも同時に、
自分の人生という芝居のハイライトになるかも?
または、必要ないエピソードかも?
と思うと、そのひとつひとつの精度を高めたり、そもそも、そのエピソードを選ぶかどうか? ということについて、より丁寧になるのではないかと思うのです。

木っ端な僕は、まだまだ名演を生み出すほど素晴らしい人生を送っているとは、とうてい言えませんが。
でも、上記のように、こころをなくしているときほど、ていねいに生きたい。

でも欲張りなので、他人の人生という舞台の名脇役になりたい、とも思ってしまいます。

そんなことを考えながら、今日も世はふけ、人生の第何章第何幕めかの、幕が降りる。

次のエピソードも、見ごたえ、演りごたえのある、良い話でありますように。

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