こんな呼び方が正しいのかわからないが、とにかく終わるのである。10年代。
80年生まれの僕は、年齢の下一ケタと西暦の下一ケタが一致する。つまり、来年は不惑、40代に突入するわけだ。
惑いっぱなしである。
26のときに発症した病は僕を蝕みつづけ、ままならないことがたくさんあり、今年はついに札付きとなってしまった。
経済状況も、なんとか10年個人として活動できていたが、依然としてかなり厳しい状況で、こちらもまもなく札付きとなる。
すべては僕が生きてきたこれまでの道に起因するものだし、後悔したり、他を羨んだりなどはしていない。むしろ、普通でない人生を歩ませてくれた周囲に感謝しかないし、迷惑ばかりかける人生だけど、これまでの足跡は愛おしくもある。
20年代はじめは、激変が確定している出来事がいくつかある。それが、よくはたらくのか、わるくはたらくのか、人生が続くのか終わるのかも想像がつかない。
何も確かなことがいえないこの日記だけど、まあ、良くなったか悪くなったかは書くのかも。
僕は40歳にたどり着けるのかねえ。
不安、心配、辛いとかではなく、諦観というか、なんだか自分自身が自分の人生から乖離して、遠くから見ているような気持ちだ。
盛大な破綻と、爆発に伴う死と。
さながらジェットコースターみたいな、アトラクションのような僕の人生は、いつもレールの先が見えなくて、いつ乗り換え場に戻ってこれるのか、皆目見当がつかない。
人に迷惑も、かけっぱなしである。
人にも、社会にも。
せめて狂って、暴走して走り続けて、前のめりに死にたい。
僕は、20年代を生き抜けるのかなあ。
静かに終わらせちゃうような気もするなあ。