私メモ

好きな言葉だけど、あまりネットに載ってないので。
著作権はもう、消えているはず。。

拝啓
一言のいつはりもすこしの誇張も申し上げません。物質の苦しみがかさなりかさなり死ぬことばかりを考へて居ります。 佐藤さん一人がたのみでございます。私は恩を知つて居ります。 私はすぐれたる作品を書きました。これからもつともつとすぐれたる小説を書くことができます。私はもう十年ぐらゐ生きてゐたくてなりません。私はよい人間です。しつかりして居りますが、いままで運がわるくて、死ぬ一歩手前まで来てしまひました。芥川賞をもらへば、私は人の情に泣くでせう。さうして、どんな苦しみとも戦つて、生きて行けます。元気が出ます。お笑ひにならずに、私を助けてください。佐藤さんは私を助けることができます。私をきらはないで下さい。私は必ずお報いすることができます。お伺いしたはうがよいでせうか。何日何時に来いとおつしやれば、大雪でも大雨でも、飛んでまゐります。みもよもなくふるえながらお祈り申して居ります。

                         家のない雀
                             治拝
                       佐藤さま
 

謹啓 厳粛の御手翰に接し、わが一片の誠実、いま余分に報いられた心地にて、鬼千匹の世の中には、佛千体もおはすのだと、生きて在ることの尊さ、今宵しみじみ教えられました。【晩年】一冊、第二回の芥川賞苦しからず、生まれて初めての賞金、わが半年分の旅費、あわてず、あせらず、充分の精進、静養もはじめて可能、労作、生涯いちど、報いられてよしと、客観、数学的なる正確さ、一点のうたがい申しませぬ、何卒、私に与えて下さい。一点の駆け引きございませぬ。深き敬意と秘めに秘めたる血族感とが、右の懇願の言葉を発せしむる様でございます。困難な一年でございました。死なずに行きとおしてきたことだけでも、ほめて下さい。最近、やや貧窮、堵書きにくき手紙のみを、多くしたためて居ります。よろめいて居ります。私に希望を与えて下さい。老婆、愚妻を、一度限り喜ばせて下さい。私に名誉を与えて下さい。文学界賞、ちっとも気にかけて居りませぬ。あれはも、二、三度、はじめから書き直さぬことには、いかなる賞にもあたいしませぬ。けれども【晩年】一冊のみは、恥ずかしからぬものと存じます。早く、早く、私を見殺しにしないで下さい。きっと、よい仕事できます。経済的に救われたなら、私、明朗の、蝶々。きっと無二なる旅の、とも。微笑もてきょうのこの手紙のこと、谷川の紅葉ながめつつ語り合いたく、その日のみをひそかなるたのしみにして、あと二、三ヶ月、苦しくとも生きて居ります。ちゅう心よりの謝意と、誠実、明朗、一点やましからざる堂々のお願い、すべての運をおまかせ申しあげます。
(いちぶの誇張もございませぬ。すべて言いたらぬことのみ。)

太宰治の芥川賞懇願の手紙。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください