思うに

表現が適切かどうかははわからないけど、
人は、依存しあって生きるものなんだろう。

感謝の言葉は暗に返礼を求め、
詫びの言葉は暗に赦しを求め、
わがままは暗に寛容を求める。

正論も、賛美も、言葉の暴力も、傷のなめあいも、
余計な一言も、徹底抗戦も、説得も、世辞も、
本音トークも、全ては依存だ。

そして僕が今こうしてここにこんなことを発信している事も、
暗に同意を求めているからで、
やはり依存に過ぎない。

発信することによる、理解の強要。
ワールドワイドを巻き込んだ、壮大なオナニープレイ。
弱さの一形態だ。

依存を無くすには、
ただ笑って沈黙するしかないのだろう。

あらゆる言葉を失ったときに、
人は真の自立と強さを得られるのかも知れない。

でもそれは同時に、生命の描いて来た放物線から
外れる行為なのだろう、とも思う。

依存は快楽として
遺伝子レベルでプログラミングされていて、
極端な話、それこそが
生物をここまで進化させたのかもしれない。

言葉は依存、沈黙は力。
僕は沈黙という力を得たい。
その力を得ることによって、
人生がどんなに色褪せようとも。

…でも、きっと本当はそうじゃないんだ。
いや、正しくは、それもあるけど同時に、そうじゃない部分も持ち合わせたいんだ。
依存を断ったドライな生き方に憧れるけど、
本当は同時に、依存したいんだ。
依存を依存として割り切った、
そんなオトナな関係も渇望しているんだ。
相反する二つの性質を同時に欲しがる、
贅沢猫ちゃんなんだ。

だからさ、
ねぇ、
踊ろうよ。
踊ってよ。
みんなで絡まり合おうよ。
主張と反論の、サインとシンボルの、
嘘と、本当という名の嘘のダンスホールでさ。

みんなの心をとろとろにかきまぜて、
スープをつくろうよ。
そしてそれをみんなで分け合って飲もうよ。

不完全な僕たちの心と心を、生命と生命を、
遺伝子と遺伝子を、丁々発止、
相互補完し合おうじゃないか。

そんな事を考えた、27歳のメリークリスマス。

みんな、元気かい?
僕は上々さ。いつでもね。

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